舵をとれ、偽史を書け

 この前、データアノテーション(機械学習等に使う教師データのラベル付けなどの作業)のサイトを案内するDMが来ていて、見たところちゃんとしたサイトみたいだったので、試しに登録作業を行ってみた。
 そこでは登録にあたって、日本語と英語でいろいろな質問に答える必要があった。ちゃんと質問に答えられて、問題のないデータをつくってくれるひとかどうかを判断するものだと思う。そのなかに、以下のような設問があった。
「緑色に踊るタコについて、5~7文以上の短編を英語で書いてください。 2022年11月8日、サム・バンクマン=フリードのFTXオフィスを舞台にしてください。」
 一読して、「試されている」と思った。サム・バンクマン=フリードについては以前どこかで読んだことがあった。FTXという仮想通貨取引所を創設し、過去類を見ないレベルの大規模な詐欺を働き、有罪判決が下った、稀代の犯罪者。そんなところだったと思う。
 たとえばAIを使って上の質問に答えさせたら、よほど賢くない限り、2022年の11月8日という日付のもつ意味はAIに伝わらず、タコをフィーチャーしたつまらない物語を書くのだろう。試されているのだ。実在の犯罪者をテーマにして偽りの歴史の二次創作を書けだなんて、よほど性格の悪いひとが設問者なのだろうとも思った。私は彼の期待に答える必要がある。
 そんな感じでサム・バンクマン=フリードの英語版Wikipedia記事などを眺めながら以下の実作を書いた。楽しかったです。

実作:
 サム・バンクマン=フリードはものすごい勢いで崩れていく目の前のあらゆるものに対して――諦めきれないこの現実に対して、どうしようもない喪失感と焦燥感を感じていたが、どこかまだ大丈夫だと、自分が失敗などするはずがないと信じていた。まだ詐欺の証拠が明らかになったわけではない。まだFTXは持ち直せるかもしれない。そうだろうジョン? デスクに置かれた分厚いガラスの水槽の中で優雅に踊る緑色のタコに向けてそうつぶやく。ジョンはこれまでバンクマン=フリードが見返りを求めず行ってきた莫大な寄付のうちの一部が見返りとなって帰ってきたものだった。なんとか水族館……水族館の名前までは覚えていない。このタコは愛嬌があって、緑色の奥の瞳はどこか俺を見ていない。それが気に入って、バンクマン・フリードは自分のデスクにこのタコの入った水槽を置き続けていた。「なあ、FTXは大丈夫だよな?」もう誰もいないオフィスにバンクマン=フリードの声だけが反響する。ジョンは質問には答えずにただ優雅に踊っている。狭い水槽の中を、その数千立方センチメートルでしか生きられないのに、とても自由そうに。緑色に揺れるそのタコを眺めながら、バンクマン=フリードは自分にはもう逃げ道はないのだということを深く理解して、パソコンのモニターを持ち上げるとおおきく振りかぶって水槽を破壊した。

英訳:
Sam Bankman-Fried felt an overwhelming sense of loss and anxiety about everything collapsing before his eyes—this reality he couldn’t give up on—but still believed somewhere inside that it would be okay, that he couldn’t possibly fail. There was no concrete evidence of fraud yet. Maybe FTX could still recover. Right, John? He muttered this to the green octopus dancing gracefully inside the thick glass tank on his desk. John was the return of a part of the massive donations Bankman-Fried had made without expecting anything in return. The Something-or-other Aquarium… he couldn’t remember its exact name. The octopus had a charm, and its eyes, deep within the green, somehow didn’t seem to see him. He liked that, and so he kept the tank with the octopus on his desk. “Hey, FTX will be okay, right?” Bankman-Fried’s voice echoed in the empty office. John didn’t answer the question and just danced gracefully. Inside that small tank, unable to live outside its few thousand cubic centimeters, it seemed so free. Watching the green swaying octopus, Bankman-Fried deeply understood that there was no escape for him anymore. He lifted his computer monitor and, with a big swing, shattered the tank.

 最後がちょっとサリンジャーっぽくて気に入ってます。どこが?
 書いていて「これで……いいんだよな……?」というドキドキ感があってそれも面白かったんだけど、これを提出してから3週間くらい経ったいまでも返信がないのでどうやらダメだったみたいです。そんな…… 英訳にAIの力をちょっと借りたりしたのが見透かされているのか、他の回答がよくなかったのかはわからないものの、とにかく作問者の好みには合わなかったらしい。
 ちなみにこの問題文で調べると、AIに書かせただろう実作や、海外のYahoo知恵袋みたいなサイトで人に回答を求めてる倫理観も何もなさそうなひとなどがそこそこ出てくるんですが、AIの自動生成の回答が「特定の日に特定の人のオフィスで起こる緑色の踊るタコに関する物語を書くのは適切ではありません。人々のプライバシーを尊重し、許可なく現実の設定で架空の物語を作らないことが重要です。」って言っててそれはそうすぎてめっちゃ笑っちゃった。間違いなくいちばん倫理観がないのはこの問題文をつくったひとに他ならないから。私を含むこのすべての登場人物のなかで、AIがいちばん倫理観を持っている、そういう夏もある。 倫理観のあるAI

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そのうちできるようにします。いまはできません。